top of page

段位との付き合い方

1 時間前
読了時間: 3分

 段位の向上によって、見る景色が変わる等と言われる。その景色が何たるかは分からないが、技量とは別物であることは確かである。

 

 私にとって、居合とは、敵に斬られずに敵を倒すための武技であり、そのための刀法である。あくまでも剣術である居合技を、「道」とか「精神修養」とか難しい言葉で語る能力は持ち合わせていない。今までそういう事を習ってこなかったからである。

 

 主題に戻ると、端的に言って、段位が上がると通常、技量が落ちるということである。

 

 〇技術と精神論を一緒くたにし、むしろ精神論に偏り技前を疎かにしては本末転倒である。頭であれこれ考えずに先ず技を体現することに専念すべきであろう。

 

 〇段位の向上を目指すことは励みになるが、それを主目的にすることは本末転倒である。

 

 〇段位が上がるに従って、居合に慣れ、いつしか初心を忘れて形を流すようになってしまう。また、敵に向かう気力も真剣さを失い、頭で抜くようになりる。これでは求道というよりスポーツというべきで、私が思うには技の終焉である。よほど自分を律しない限り、ほとんどの者が、その落とし穴に転落している。

 

 〇誰しも潜在的に他人を段位によって測りがちだが、それは明らかな妄想であることを肝に命じてほしい。私より段位が低い者でも、自分より上手な者は、幾らでもいる。

 

 〇段位取得を年限を基準にして、本来あるべき技量が軽んじられているのが最大の弊害である。受審せずに申請するだけで昇段するなどは言語道断である。

 

 〇私は数年前、初段の部で演武したことがあった。居合に慣れていない、真剣み溢れる、頭で考えない無心な方々に囲まれて、その澄んだ空気の中での演武することは怖かった。しかし、必死に抜いた後の清清しくに心が洗われる心持であった。

 

 〇段位など勝負の世界には何の助けにもならない。命のやり取りの場で段位など何の関係もないことは言うに及ばない。

 

 〇ついでに言うと、大会運営上は段位順に演武することとなっているが、本来はどの段位で抜いても何の問題もないと思っている。競技においても、低段者の方が高段の部より優れた者は少なからずいる。

 

 〇私ごとだが、近頃過去の自分の映像を見て、今よりも上手い自分がいることに気づかされた。気づいただけでは仕方ない。その時の自分に負けじと対抗心を燃やすべきである。その映像は30年以上前のものであるが、それを手本として、その時の心境になり、その技に追いつき必ず追い越す積りである。乞うご期待。その時の段位に戻れれば一歩前進であると思い、それをも目標としている。なんとも、昔日の自分を手本にするとは尋常でないと思われるに違いない。

 

 〇個人的には、始めに手ほどきしてくれた兄弟子より一段上になってしまってたことを悔やんでいる。今は、いつも兄弟子の一つ下の段位の積りでいることが武道人の礼節であると思っている。


 〇段位は諸刃の剣である。全く個人的にではあるが、段位が上がると技が下手になる公算が高まると感じている。それに抗うためには取得した段位はそのままとして、自分の中で少しずつ段位を下げる心得で稽古し、常に段位を捨てる覚悟こそ上達のための心構えだと思う。

 

 〇昔、稽古場に来るときは段位は家に置いてこいと言われて育ったが、むしろ段位など捨てたほうが上手くなれるのではないか。2026.9.22会水

 

 

 
 
 

コメント


特集
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新のお知らせ
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page