無駄を削ぎ落す
居合に関してある程度のことを習得後、そこからは不必要な要素を削っていくことが、向上のためには有効である。 昔から余計な力や動作を削ぎ落すことを奨励されて稽古してきたが、その大切さが近頃分かってきた気がする。 物を覚えるためには、余計なことを忘れることが必要であり、忘れることは老化現象ではなく、また脳細胞の減少は頭から無駄を無くす合理的発展的節理であるとの説もある。 話が逸れてしまったが、本題の居合に戻ると、確かに無駄を取り除くと新たなことを思いつくし、色々と展開していくことを実感している。 そこから考えると情報に関しても同様、十分留意して取捨選択することは、無駄を削ぎ落すことに通ずると思う。2025.10.14会水
英信流の横血振り
(居技の場合) 打ち下ろした切っ先の位置から布を割く心持にて勢いよく、八寸強(約25cm)または一尺(約30cm)右に開く。※全日本居合道刀法の場合は、一尺(約30cm)右に開く。 血振った時、右拳の位置は右膝の高さ、鍔の位置は右膝の線にあること。 (立技の場合)...
私の稽古則
〇目標目的を一つに絞る あちらこちらに目を向けると、意識が分散してしまうから向上は望めない。 私は21代宗家をゴールに定め、他を顧みることは一切しない。他の技の良いところを参考とするなどは分散を招くから、よそ見しないで一点集中する。 ...
稽古あれこれ
広く一般に残された21代の動画は、教本としての意図により、あえて本来のダイナミックな迫力を押さえているような印象を持っている。そうだとすると、サラッと見る者にはその凄さはほとんど分からないであろう。 しかしながら、よくよく観察すると(道場員の中にはスロー再生している剣...
...の振り(ふり)をした技
居合においては、振りをなくすよう自戒しなければならないと思っている。振りとは、粉飾とも言える。 たとえば、気勢気迫、眼光、技の大きさ、速さ、強さなどに対する色々な振りがある。 自分の技前をよくよく見つめることは元より、他所の技が本物か否かを評価する目も養わなけれ...
お手本の見方
先ずは一つの手本を選び、とことん真似ることである。 技をパーツに分解してとらえ、複数の技前の良いとこどりをすることは決して望ましいこととは言えない。 また、途中で手本を選びなおすこともなくはないが、新しい手本に転換することは相当な意識の変更と労力を伴うことを私自身も...
本筋の考察
(空眼の目付) 前方六尺(約2メートル)に目を付ける。打ち下ろしの時は切っ先を追うようにして、倒りた敵越しに六尺(約1.8~2メートル)に前に目を落とす。稽古場における目付けは壁や床ではなく、いわゆる空眼にて仮想的に向けるものである。 ...
居合の本義
泰然自若として急いてはいけないとか、言われるが、それらは心構えのことであり、内面の問題である。また、段位相応の技前と言われることもあるが、ある意味技前と段位を同列に考えるのは難しい面がある。 時として、堂々たる落ち着いた技前等として評価されることがあるが、それらは決して...
何を指導するべきか
私は自分の信ずる正統正流の技前を継承するための指導をしている。 自分が習い、憧れの師の技前に違わぬよう、それが忠実に伝わるよう自分なりに努めているつもりである。 ~の様に、~のような感じで、と言う観念的なことや、何かに例えてイメージ化するような説明は出来る限りしない...
無念無想ということ
この概念も「序破急や間合い」と同じく、深堀されているところを見聞した覚えがない。 「無念無双」は昔日から耳慣れた言葉であり、武術家等が修行を通して追い求めてきた、深奥な境地でると認識してきたし、いまもそう思っている。 ...