お手本の見方
先ずは一つの手本を選び、とことん真似ることである。 技をパーツに分解してとらえ、複数の技前の良いとこどりをすることは決して望ましいこととは言えない。 また、途中で手本を選びなおすこともなくはないが、新しい手本に転換することは相当な意識の変更と労力を伴うことを私自身も...
本筋の考察
(空眼の目付) 前方六尺(約2メートル)に目を付ける。打ち下ろしの時は切っ先を追うようにして、倒りた敵越しに六尺(約1.8~2メートル)に前に目を落とす。稽古場における目付けは壁や床ではなく、いわゆる空眼にて仮想的に向けるものである。 ...
居合の本義
泰然自若として急いてはいけないとか、言われるが、それらは心構えのことであり、内面の問題である。また、段位相応の技前と言われることもあるが、ある意味技前と段位を同列に考えるのは難しい面がある。 時として、堂々たる落ち着いた技前等として評価されることがあるが、それらは決して...
何を指導するべきか
私は自分の信ずる正統正流の技前を継承するための指導をしている。 自分が習い、憧れの師の技前に違わぬよう、それが忠実に伝わるよう自分なりに努めているつもりである。 ~の様に、~のような感じで、と言う観念的なことや、何かに例えてイメージ化するような説明は出来る限りしない...
無念無想ということ
この概念も「序破急や間合い」と同じく、深堀されているところを見聞した覚えがない。 「無念無双」は昔日から耳慣れた言葉であり、武術家等が修行を通して追い求めてきた、深奥な境地でると認識してきたし、いまもそう思っている。 ...
正しく継承するための伝え方
一、先ずは外形から入るべきである 体ならしや刀になじませるために素振りや足さばきから教える向きもあるようだが、何も分からない初心者にそれをすれば自分勝手なやり方になってしまいむしろ後々の弊害となる。初っ端から悪癖をつけさせるようなものである。 ...
原点について
原点とは、根源となる基準となる地点ですが、私にとっての居合の原点は、河野宗家から福井宗家へと連なる訓えです。 たとえ同じ流れの方々でも,見方や見る人の経歴、個性、思い入れ等々の違いにより、技前の解釈が大いに異なるのも事実です。 ...
「流派の掟」と臨機応変な技前について
古来伝承の形を「微塵も改変してはいけない」ことは古武道修業者としてのあるべき姿です。 先師から受け継がれた「形」「理合」には本物としての厳かな美が自然と備わっています。 「臨機応変」と言っても、それが元来の「形」「理合」に則っていなければ、単なる形の改変となってしま...
宗家訓考
昔、それは大会プログラムにも載っており、皆で唱和したこともありました。 今でも私は、稽古場にそれを掲示するなどして、自分自身の戒めにしております。 それは、福井虎雄先生が河野百錬先生に入門を許された時に授かり、肌身離さず大切にされていたそうです。 ...
宗家訓
宗 家 訓 当流の居合を学ばんとする者は、古来より伝承せられ以って今日に 及ぶ当流の形に聊かも私見を加うることなく、先師の遺された形を 毫末(ごうまつ)も改変することなく正しく後人に伝うるの強き信念 を以って錬磨せられんことを切望する。 ...