速さについて
居合に限らず、剣術では「先)についての教えがありますが、それは敵との関係性において、先手を取るということです。 真剣勝負は、一瞬の判断で生死を分けると言われますが、居合においては、不意の襲撃にリアルタイムに応じる術なので、理詰めに考える隙はありません。 また、心の置きかたも重要ですが。それによって敵を斬る方法は教えられていません。心の持ちようは古来伝承の「形」にヒントがあり、その中に心の持ちようも隠されているのではないかと近頃感じております。 居合は敵の不意打ちに応じる術ですから、機敏な動作が必要であることに異論はないと思います。即ち物理的なスピードを要するということです。 つまり、傍からも、敵からも見えるような動作であってはならないと思っております。 達人の技を漫然と見ると、見えたような気がするかも知れませんが、それは決められた手順を追って見ているからであり錯覚に過ぎません。実は達人の一挙手一投足は、如何様にしても自分には見ることが出来ませんでした。 目にも止まらぬ速さとは、動作が自然であるから意識に止まらな
足指の使い方
技の基礎となる足さばきは、迅速かつ効果的でなくてはならない。 そのために、裸足、足袋、履物を問わず、足が床や地面を捉えている必要がある。 足指を用いて床等を捉えるわけであるが、福井虎雄先生の教えがあるとおり、後足の踵を床から三寸(約9cm)浮かせることで、それが可能となる。また、踵を下げアキレス腱を伸ばすと足の運用が不自由になるとの口述もある。 河野百錬先生の姿にも、踵を浮かすことによって、足指で床を捉えていると思われるものが散見される。 居合は、本来形を演ずるものではなく、敵前における武技であることを忘れてはならない。 2026.4.5会水
「横一文字」と「打ち下ろし」(その二)
【横一文字】 以下は、昭和3年に穂岐山先生へ河野先生が書簡で質問して得た返答に基づいています。 1、付けの右拳は肩の高さとなる。 2、右拳の位置は左右の肩を結ぶ線上より、6,7寸位前方に出す。それより後ろになる と引き切り気味になるので、30度の広角にする。 3、剣先は拳の高さと同じ水平線が原則であるが、幾分下がるも可とするが、前方より 見た時、刀の上を見せず下側を見せるようにする。 福井虎雄先生も上記の教えを実行しているので、私も見習っています。 【打ち下ろし】 打ち下ろし寸前の振りかぶりは鍔が後頭部に少し隠れる位となります。 従って、左拳も前額部より少し後ろまで振りかぶる。これは、昔、福井虎雄先生が取っていた位置であり、打ち下ろしにおいても引き切りにならず押し切りとなり、切っ先が直線的に最短距離で、敵の顔面に向かうことが出来ます。 これは始めて私が手ほどきを受けた日名子師の振りかぶりのポジションでもあります。 2026.3.20会水
「横一文字」と「打ち下ろし」
武技である居合が、今やアート化しているように私の目には映ります。むしろ形骸化とも言えるのではないでしょうか。 戦国時代に編みだされた技が、今日、実戦の場がないとのことで、現代的な解釈で捉えたのでは元も子もありません。 穏やかで落ち着き払った技が評価されることは、少なくとも私の若い頃にはありませんでした。 このような観点をもって、以下を述べます。 【横一文字】 私も昔は、「鯉口を離れた瞬間に切っ先が上方に向かう」ことを叩き込まれました。 今では、その技法が広く普及し、常態化しておりますが、それでは実戦から遠ざかってしまいます。 私は独立以来、目指すべきお手本を変えました。 新たなお手本によると、「鯉口を離れた切っ先が上方に浮き上がることは、どの場面を切り取ってもあり得ず、鯉口から的(始めに当てる場所)まで、直線的に向かう」ということです。 切っ先が上方に浮き上がると、的(始めに当てる場所)までの距離か伸びる(遠くなる)ことで、物理的な時間がかかり、間合いとの距離も遠くなります。 【打ち下ろし】.
稽古の揺るぎないスタンス
私自身のスタンスは、その技が最上のものと前提したうえで、21代宗家福井虎雄一択です。 これは、江坂道場からの独立とともに決意したものです。 他の多くの教えに接ることにより混乱もおこりうるし、それに対処したり、他の教えを試したりする時間的余裕もキャパシティーも自分にはないからです。 詰まるところ情報過多は意識が分散してしまうため、一点集中しないと何も達成出来ないと信じるからでもあります。 時々、他の技前と比較することはありますが、それは他山の石としてのものであり、なるべく目標とするものに専念したいと常々考えております。 それには先ず福井宗家の外形、つまり見た目の形(かたち)と動作をとことん真似ること、そこには、間と間合いも含まれますが、丸写しするほどに稽古したいと考えております。 私の場合は、身体を柔軟に用いたり、体幹を鍛錬すること等々で、技前が仕上がって行くというものとは逆で、とにかく形ありきで、「その過程を通して、前述の柔軟性の他、必要な要素が自ずと備わるもの」というスタンスです。 私にとっては、柔軟性や体幹は二次的
自らの技前を正す
本年も厳粛な緊張感のなか、靖国の御社に演武奉つることが出来ました。 来年の奉納に向け、靖国の御霊に恥じぬよう更なる精進をねねばと心新たにした次第です。 演武に於きまして己の未熟な姿を目の当たりにし、その余りの拙さを省みて精進不足を痛感いたしました。 今年から暫くは道場ならびに地区周辺にて技量向上に努めます。 第一に適正な足幅の習得。第二に体幹を正し特に左右の傾きに注意する。第三に節度強弱をもって間を詰める。第四に敵を攻める心持にて戦気ある実戦技に徹する。第五に全てにおいて停滞せず流れを止めない。以上五条項も目指す。2026.1.20会水
床打ち(床切り)と手の内
床打ちも二通りで、手の内不十分によるものと、勝負を決死した後での勢い余ってのものがあると考えている。後者について福井虎雄先生は「元気があって宜しい」と大声で叫んで下さった。 それは十分に敵を切った後であり、物打ちも働いていたからである。手の内不十分のものに関しては、「小指、無名指(薬指のこと)をしっかり絞めて親指の基部で柄を押せ」との檄が飛んだ。 競技においてはこの頃、床打ち即アウトというのが習わしのようであるが、我が道場員はよくよく観察眼を養ってほしいものである。2025.12.18会水
二歩幅についての教え
足の備えは技の根幹であり、前後の足幅は我が英信流においては二歩幅を旨とする。 その心得は、一歩とは前足と後足の間に一足入った幅であり、半歩とは前足かかとの直後に後足のつま先が従う幅である。 従って、二歩幅とは、多少の個人差はあるにせよ、前足と後足の間におおよそ自分の足が三足入る幅となる。とはいえ個々人の体格等によって寸法が異なってくるのは当然である。 たとえ年齢や身体状況によっては、足幅が不十分にならざるを得ない場合でも、安易に妥協せず、気持ちだけは、あくまでも適正な足幅を認識して指導していかねばならない。そしてそれが正流の継承と言うことである。 英信流においては、足幅が極めて重要であり、剣理の土台を成すものであるから、決して疎かにすることは出来ない。2025.10.22会水
無駄を削ぎ落す
居合に関してある程度のことを習得後、そこからは不必要な要素を削っていくことが、向上のためには有効である。 昔から余計な力や動作を削ぎ落すことを奨励されて稽古してきたが、その大切さが近頃分かってきた気がする。 物を覚えるためには、余計なことを忘れることが必要であり、忘れることは老化現象ではなく、また脳細胞の減少は頭から無駄を無くす合理的発展的節理であるとの説もある。 話が逸れてしまったが、本題の居合に戻ると、確かに無駄を取り除くと新たなことを思いつくし、色々と展開していくことを実感している。 そこから考えると情報に関しても同様、十分留意して取捨選択することは、無駄を削ぎ落すことに通ずると思う。2025.10.14会水
英信流の横血振り
(居技の場合) 打ち下ろした切っ先の位置から布を割く心持にて勢いよく、八寸強(約25cm)または一尺(約30cm)右に開く。※全日本居合道刀法の場合は、一尺(約30cm)右に開く。 血振った時、右拳の位置は右膝の高さ、鍔の位置は右膝の線にあること。 (立技の場合)...

