新年に当たって
- 2018年1月1日
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言葉はどこまでも空虚なものではありますが、今年も時々日記に投稿したいと思います。
以前の所属道場では、元日の朝に初稽古があり、初めの一本目を真剣勝負のつもりで抜きましたが、それが稽古の本質かも知れません。
時には、稽古で調子が思わしくないと感じるかも知れませんが、それは、技を行うのは身体でなく、心であることを理解していないからです。あくまでも心の付属物である身体に固執し、心と身体を同一視していることから不具合が生じるのです。少々古くなった身体のせいにする必要等はありません。
宗家訓に「居合を学ぶものは、技の末を追わず、その根源を糺し」とある通り、技の末である身体に囚われ、技は心から発するというその根源を忘れぬようにしたいものです。
刀を抜いているのは誰か?が心の探求のキーワードではないかと思います。会水

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