将来に残すために
何を残したいのかが決まってないと、それは掛け声だけに終わってしまいます。 それが目に見える形で具体的に決まっていなければ、何も始められません。会水
一所懸命
精妙さには無駄が含まれず、その諸動作の距離は最短であり、一所に集中しています。 それらは、「一生」という時間幅ではなく、「一所(瞬間)」の内にあります。会水
仏作って魂入れず
技のひとふしひとふしに魂を入れられるようになると、本物に近づけるので、そうしたいものです。 それは遅速強弱とは別物で、手先の技術では補えない根源的な事です。会水
気剣体の一致について
気剣体が一致した打突を有効と判定するとわれますが、一致不一致は当人のみ自覚可能で、本来は第三者には判り得ないものだと思います。 それを一致させるためには、誰もやりたがらない程きつい精神的な作業を伴いますが、十分に努める価値のあるテーマだと思います。...
新年おめでとうございます
今年の稽古は、初心に帰り、一つ一つを疎かにしないように頑張りますので、ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。会水
伝承するべきもの
感性や感覚は、その場、その時の個人の印象に過ぎないものなので、伝承するべきものは、感覚的な観念ではなく具象化されたものであると思います。 その際、元の教えに対するある程度の説明は必要になりますが、極力、私意を入れないようにしたいものです。...
具象的な技
居合は芸術ではなく武術である以上、抽象ではなく、強いて絵画に例えるならば、写実的な技が求められます。 技における具象とは実利的で具体的だということで、細部を追求するということです。 そのためには、感性を論じない方がよく、なぜならそれは他人の範疇であって自分とは無関係だと思う...
稽古の目当て
各々が出来るところまで技を追い、各々が出来るところまでそれを後人に伝える。 伝統を追わずに勝手なことをやっていては、何遍やっても何処にも辿り着くことが出来ません。 勝手にやるのではなく、目当てをもって稽古されることを切望します。...
全力で抜く
技は全身の隅々に力を込めて発動するわけですが、そのためには身心に宿ったエネルギーを出し惜しみせずに使います。 身心自体がエネルギーですので、使うと消耗するという意識を持たないかぎり、それが枯渇することはありません。 むしろ出し惜しみするほど、エネルギーは失われます。...
武術では技と身体は一緒のもの
武術において、技と身体は同一なので分けて考えることは出来ません。 五体を技に合わせて武技化するのが武術の鍛錬だとすると、先ず技があり、それに身体が続くように思えますが、実際には両者を分けることは出来ません。 基礎体力や運動能力を向上させることは、健康のためにもよいことですが...