清明な意識
私感を交えず、雑味のない意識で行うと、邪気のない素直な抜刀になって行く。 技はどこから発せられ何処に戻って行くのか? 技を行じているのは誰なのか? これは、大切な問である。 業が存在するその根源を探求して行くと、私感が消滅し、意識が清明になって行く。会水
鞘の内
鞘離れの瞬時に敵を制することが居合道の本義であると言われ、当流の業の掟について(全24項)の中で「抜付けは必ず鞘の中から切り付ける事は最も肝要で、剣先を抜き出してから斬り付ける事は居合の最も不可とする所なり」と強く戒められております。(21代宗家の教え)...
斜刀の第二刀、第三刀
第二刀は、諸手上段となりつつ左足を進め、左足を踏み込むや敵の右肩口より向かって右斜下に袈裟に斬り下す(20代宗家はこれを大袈裟に斬ると言われた)。 第三刀は、更に諸手上段となりつつ右足を右斜前(約45度の方向)に進め、左足を右足の後方に踏み替えると同時に敵の左肩下より斜めに...
斜刀の第一刀
我歩行中、前面の敵上段より仕懸けんとするを、その上段の籠手に斬り付ける。 正面に向いて直立し、前進しつつ鯉口を切り、右手を柄にかけるや右足を踏み込み、腰を左に捻りて半身となり、刀刃を右上斜に向けて、上段より仕懸けんとする敵の籠手に斬り付ける。(21代宗家の記述より)
正座一本目前(納刀)
〇左手で鯉口を握り、振り下した剣先を下げたまま左方へ廻し、刀刃を前に45度ぐらい傾けて鍔元5寸のところを鯉口に運び、刀を右斜前45度の方向へ引き、瞬間に剣先3寸を鞘に納め、徐々に納刀しつつ腰を下げ、納めるに従い刃を真上とする。...
袈裟切り
21代宗家の教えによると、袈裟切りには、追撃刀・斬突刀・後敵抜打のように、「肩下から斜めに斬り下す」もの、諸手袈裟や立膝のように「肩口から斜めに斬り下す」もの、「脇壺から胴にかけて斬り下す」もの等がある。会水
正座一本目前(眼付)
正座一本目前(眼付) 座した時の着眼は前方3m位とし、一定の場所に固定せずに、遠山を望むかのように八方に心眼を注ぐ。 動作中の着眼は仮想的にし、横一文字の抜き付けは座した時の着眼の高さとし、最後に斬り下した時は斬り下す刀のあとを追って約2m前方、倒れた敵の体を見越した点に付...
「刀刃を左に傾ける」とは
〇正座7本目介錯「斬り下した刀刃は45度ぐらい左に傾ける」 〇太刀打の位4本目独妙剣「打太刀は、刀を左に傾け、摺込みて仕太刀の胸部を刺突す」 上記は21代福井宗家が記されたものだが、いずれも刃は敵に対して、左を向けるという宗家の表現である。...
正座の仕方
左膝、右膝の順に床につき、両足の親指を重ね、両膝巾が肩幅より広くならないようにし、両膝の間隔は固く二拳とする。 刀の刃を内側に向けて、鍔が両膝を結ぶ線上にあるようにして右膝の外側より10センチ位離して置く。 両手は腰の付け根より10センチ位前に、中指の付け根の関節が膝巾の中...
先人との対話
伝統は、先人によって創造されてきたものだが、彼らは今それを語ることが出来ない。 稽古とは、先人の築いた伝統の方を向いてするものだが、今生きている者が逆方向に向かうことでその根拠を見失ってしまう。 今や、語りたくても言葉を発することが出来ない先人に思いを馳せることが稽古の本質...