入口は無数でも出口がなかなか見つからないのが居合の道
- shujuku
- 2023年5月9日
- 読了時間: 1分
標題の言葉は、かつて先師から伺ったフレーズである。探求には際限がないということか。
何故そうなったかは後に述べるが、常に憧れて来た21代福井宗家の技前を正統正流と明確に思い定めたのは、平成22年に居合道修塾を創立したときからである。
技前は個人のクオリティーに依拠しているところが大きい。また外面の形(フォーム)や理合いは技量の現れでもあるから、そこに及ばない場合は自ずと変形せざるを得ず、技が多様かしている要因ではないかとさえ思っている。
居合へ入門し立てで何も分からなかった頃から、21代福井宗家の技には魅力を感じていたが、修業の目標をそこに定めたのは、非力で不器用な自分には一点集中するしか探求のすべがないと悟り、自ずと他との比較や、他からの指導を受ける余力がないという心境に至ったからだと思う。
今となっては、それが間違いではないと確信し、遥か遠方の出口に向かって稽古している。近頃では益々出口を遠く感じている次第であるが。2023.5.9会水
最新記事
すべて表示私は自分の信ずる正統正流の技前を継承するための指導をしている。 自分が習い、憧れの師の技前に違わぬよう、それが忠実に伝わるよう自分なりに努めているつもりである。 ~の様に、~のような感じで、と言う観念的なことや、何かに例えてイメージ化するような説明は出来る限りしない...
この概念も「序破急や間合い」と同じく、深堀されているところを見聞した覚えがない。 「無念無双」は昔日から耳慣れた言葉であり、武術家等が修行を通して追い求めてきた、深奥な境地でると認識してきたし、いまもそう思っている。 ...
一、先ずは外形から入るべきである 体ならしや刀になじませるために素振りや足さばきから教える向きもあるようだが、何も分からない初心者にそれをすれば自分勝手なやり方になってしまいむしろ後々の弊害となる。初っ端から悪癖をつけさせるようなものである。 ...
Comments