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居合の本義
- shujuku
- 4月14日
- 読了時間: 1分
更新日:4月15日
泰然自若として急いてはいけないとか、言われるが、それらは心構えのことであり、内面の問題である。また、段位相応の技前と言われることもあるが、ある意味技前と段位を同列に考えるのは難しい面がある。
時として、堂々たる落ち着いた技前等として評価されることがあるが、それらは決して外に見て取れるものではないから、それが目に見えたり感じられたら、それは偽物と言うことである。
実際の攻防では、一瞬の速さが勝敗を分けるので、動作は機敏で迅速でなければならず、落ち着いている隙などないはずである。
以上について、敵との命のやり取りであるという居合本来の目的に立ち還れば、異論はないのではないか。
落ち着き払った、堂々としたものではなく、間の詰まった鋭敏で切れのある技を評価したい。25.4.13会水
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