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真剣
- 山崎修明
- 2019年11月25日
- 読了時間: 1分
霊器と言われる日本刀を帯びることは意義深いことだが、居合道修行においては、その意識が真剣であれば、用いる刀が真剣でなくとも、全く不足はない。
刀は所持者の意識次第でいかようにも生かせるものであるから、「木刀」も使い方ひとつで「真剣」と同等な働きをする。その意味では、「居合刀」も同様である。ある意味、木刀は木刀として本物であり、居合刀においても然りである。
そのような観点からも、要は、刀の種別には、あまり固執せず、自分に与えられた刀が何であれ、誇りを持って厳かな気持ちで帯刀するべきである。
居合道では、切れる刀を用いることよりも、切れ味のよい技を追求するほうに重きがあると思われる。会水
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