私の稽古則
- shujuku
- 9月22日
- 読了時間: 3分
〇目標目的を一つに絞る
あちらこちらに目を向けると、意識が分散してしまうから向上は望めない。
私は21代宗家をゴールに定め、他を顧みることは一切しない。他の技の良いところを参考とするなどは分散を招くから、よそ見しないで一点集中する。
〇技に自己解釈わ加えたり、自分の言葉に変換して語らない
私は、21代宗家、江坂弘先生から教わった言葉をそのまま用いることを心がけている。それが継承伝承だと思っているからである。
〇一本の技をあまり分解せず、通して稽古する
技は個々の動作が集合して成り立っているのではなく、一本の技の中に目に見えない要素が含まれているのであり、含まれている要素は技ごとに全て違う。
〇体の使い方においても一本ごと異なり、突き詰めれば汎用出来るものではない。
例えば、横一文字は立技と居技、正坐と立膝では、間も間合いも異なる。脛囲いも八重垣、虎一足では様相が異なる。
〇技は理論ではない
理屈ばかり考えていても埒が開かない。
〇居合はスピードが最重要なファクター
未経験の自分が真剣勝負について語ることは出来ないので伝聞であるが、勝負は如何に敵に先んじて初太刀をあびせるかである。それは私にも納得出来る教えである。
稽古は物理的なスピードを上げ、間(タイミング)を習得することを主眼とする。
〇体裁は必要ない
堂々と落ち着いた技をやるなどは二の次である。
しかしながら、決して流派の掟である形から微塵も逸脱してはならない。
〇頭で考えず、ありのままを写し取る
それを言い換えれば、真似をすると言うことである。
21代宗家の形を丸々真似れば、私にとっては全て完結出来ると思っている。
他に道草、寄り道している隙はない。
〇私にとっての真似るとは
私の知る限りにおいて、21代宗家の技前が最高であるから、有無を言わず全てを真似ることに心血を注ぐ。江坂弘先生も、私が若いころ、福井虎雄先生は百年に一人の逸材だと言われていた。
〇何を真似るか
その形全て(足幅、かかとの高さ、こぶしの位置など目に見えるところ)、間と間合い、運足の速さ、足の引き方出し方、物打ちへの体重の乗せ方、目付の仕方、呼吸の仕方、その他一挙手一等足の全て。
全てを丸々真似ることで、福井虎雄先生の本質に近づけるものと信じる。
〇稽古時の心構え
日頃の稽古は、理論に傾かず、敵との戦いでなければならない。
江坂弘先生は私が若いころ「わしに敵愾心をもって抜け」と言われたことがあった、元立ちを倒す気概を持って抜くのもよいと思う。元立ちも負けず抜く積りである。2025.9.22会水
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