稽古あれこれ
- shujuku
- 7月20日
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広く一般に残された21代の動画は、教本としての意図により、あえて本来のダイナミックな迫力を押さえているような印象を持っている。そうだとすると、サラッと見る者にはその凄さはほとんど分からないであろう。
しかしながら、よくよく観察すると(道場員の中にはスロー再生している剣士もいる)、如何につくろって平易に演じても、その技量の高さは隠し切ることは出来ず、随所に卓越した技量が出てしまっているというのが真実であろうか。
幸いにも自分は、講習会等とは別に、その技前に直(じか)に接する機会に恵まれた一人である。
その時のダイナミックな迫力とフレキシブルさには圧倒されるばかりであった。場合によっては、あまりにも殺伐とした剣さばきであり、言葉の端々には実戦さながらの殺気さえ感じさせられるものがあった。
試し切りではなく、仮に日本刀を用いたと思われる技の前ではぐうの音も出ないのではなかろうか。
今では21代から教示を受けたことを誇りとして、その技前を目標としている。目標があまりにも偉大で遠いため、毎日が発見の連続であり、日毎に自分の剣風が変わる有様である。
優れた画家は生涯幾度か画風を変えると聞くが、自分たちはそのような高尚なものではなく、下手くそ故に変わらざるを得ないわけである。
技風が都度変わるのは目標が明確であるからこそであり、これこそが稽古の醍醐味ではないだろうか。2025.7.20会水
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