道場(修塾)について
修塾は、正統の技を修める場の中に、イメージした(している)ことを試す実験室という一面がある。
稽古がうまくいけば、実験成功ともいえるし、イメージ通りでなければ、新しい発見というおまけが付く。
たた、場当たり的にルーティーンをこなすだけでは、何も変化はおこらない。
たとえ、稽古場に立ってから、イメージを始めても遅くはない。
無心(何もイメージしない)でいることが、本来あるべき姿だけれど、稽古の便宜として、指針をイメージすることは助けとなる。ただし、雑念を侵入させないため極短時間(一瞬)のイメージならば、差し障りない。
いずれ、その指針さえイメージ出来なくなり、無心に帰せるようになる。
雑念の入らない道場の中なら、無念無想の心境を求める実験室にも、無論なり得る。
稽古再会までに、どのようなイメージを抱き、実験室でどのようにそれが表出されるのかが楽しみです。会水