何を指導するべきか
- shujuku
- 2月25日
- 読了時間: 2分
私は自分の信ずる正統正流の技前を継承するための指導をしている。
自分が習い、憧れの師の技前に違わぬよう、それが忠実に伝わるよう自分なりに努めているつもりである。
~の様に、~のような感じで、と言う観念的なことや、何かに例えてイメージ化するような説明は出来る限りしないようにしている。
または身体の深奥の働きとか、ある意味では個人の身体能力にもかかわる事柄は優れた体術ではあろうが、それらは個性によるところも大きい。
そのようなことを修練することを否定するものでは決してないが、それを言葉や図で示すことは難しい。
私が目指している師は、教えを書籍に遺されているが、実際の指導でも、そこに書かれたそのままの言葉で教えて下さった。指導時に用いられた言葉を文章にされたともいえる。
言葉で表せないニュアンス的なことを聞いた覚えはない。
大事なことは、その言葉をそのまま用いて、説明することに意義があり、決して自分の言葉に変換してはいけないということである。
日本の伝統文化は日本語でしか伝えることが出来ないように、居合技も伝承されてきた居合語でしか伝えることが出来ない。
師の書かれた文章の一言一句、話された言葉をそのまま変えずに用いて指導することが伝承の掟であり、それが師への恩返しである。2025.2.25会水
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