本質への分岐点
誰でも、先師の技前のサマライズされたものを学んでいくものだが、そこを更に踏み込むと、それが溶けたかのように透明となり、深奥に隠されていた本質が現れてくるときがくる。
それは、広く全体を覆っていた何かが晴れるような感じで、広く全体に通じていた事柄から、個人的な領域に移ったという印象であろうか。
確かにサマライズされたものには、技前のエッセンスが含まれているが、そのままでは実質は未実現である。
そして、一歩踏み込んで実質が顕現したとき、以前のサマライズされた段階のものとは、別物あるいは異質に見られることもあるが、決して本質から外れたわけではない。2022.7.31会水
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