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正伝について今思うこと

  • 山崎修明
  • 2019年5月9日
  • 読了時間: 2分

諸説ありますが、自己解釈では、正統とは系統の正しい継承を指し、流派の掟に則った技量を受け継いだものが正流だと思う。私は正流と同じイメージで正伝という言葉を用いています。

これまで正伝を継承されてきた全ての先師に敬意を払うのは当然のことですが、目標を明確にし、より的を絞りやすくするため、私たちは特定の師を正伝と定めて稽古しております。

具体的には、多くの先師から受けた教えを元手に、先人の著した文献や残された映像を頼りに試行錯誤を繰り返しております。

その稽古で、自分たちと先人とを比較し、詳しく観察することによって得た発見に基づいて、改善に努め、日々変化しております。

しかし、これは、技の改変ということではなく、正伝の技に近づくために歩みを進めるもので、むしろ「先師の残された技に私見を加えず、些かも改変してはいけない」との宗家訓をわが道場の標にしております。

また、正伝について考えるときには、それを殊更主張せず、内面に活力として留めておきたいと思っております。

それを、正伝を系譜や技術の正当性でみるという観点から考えるという方法もありますが、今この瞬間においては、各自の技量を裏付けとした観察眼よってしか、純粋な正伝の本質を見抜くことはできないものと思っております。これは、私自身が居合について、この頃分かりかけてきたことの一つでもあります。

それから、正伝の指標を、私なりに述べれば、先ずは外形が正伝の骨格になると思います。外形が整えば、自ずと中身も充たされること実感した経験によるものです。正しい姿形には、「間と間合」「強弱遅速」の他あらゆる技量が内包されています。そして、外形の正しさは、静止の場面だけでなく、動きの中にも及ぶものと思います。

前段で、外形について強調しましたが、実は内外という区別は存在せず、外形が原因となって生じた技量が、次の原因となって、また外形に影響する。その繰り返しで、徐々に正伝に近づくものと思います。会水

 
 
 

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