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稽古が始まる時

入門当時は、技を習い覚えことから始めなければなりません。それは未経験から一歩を歩み始めることで、しばらくは新たなものを積み上げて行く感覚であり、思えばそこには未だ工夫と言う意識はなかったように思います。


いつの日か向上という意識が芽生えますが、まだまだ稽古の緒に就くのは先のことになります。では分岐点は何処にあるのかということになりますが、個人的には向上心を含めた執着が消え去ったときではないかと思います。


その執着とは我執のことであり、そこから離れるというより自意識から解放されたところが、稽古の始まりだと思うのです。


その時点から、新たな事柄を上に上にと積み上げる段階から下へ下へと掘り下げることに転じる。それが古武道の稽古の本質ではないかと考えております。未来から過去に方向を変えると言い換えることも出来ると思います。


新たに生み出されたものには普遍性が内在されていませんので、いずれ消失してしまうのは必定です。科学技術においては個別の事象が積み上げられたものが普遍へと向かうということを聞いたことがありますが、新たな優れた研究によって覆されることが前提となっているわけです。


しかしながら、こと武道における普遍性とは決して覆ることのない剣理のことです。たとえ得意技を極めてもそれを上回る技の出現により敗れる運命にあるのと例えることも出来ます。


我が修塾では、勝つための必要・十分条件、即ち普遍的な剣理を目指す稽古が始まっております。2023.6.14会水

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