言葉による技の伝達
和歌は大和言葉に代表される我が国固有のもので、その文字数で情景を見事に伝えられる言語は他にはないそうです。
日本固有の居合道を鍛錬するためには、日本人の精神的面も同時に学ぶ必要があり、その基礎をなすものが言葉だと思います。居合の形は和語で組まれた技と言えるかも知れないと思います。
私の経験では、居合道のような古武道の動作を外国語に置き換えることはとても難しかった。いくら優れた通訳によっても元々の言葉ではなくなってしまうからです。
真剣に対峙しても曲解されてしまい通じないことが多く、妥協してきました。そもそも日本語に置き換わる言語がないのだから諦めるしかありませんでした。
そこで、見せて理解してもらうしか方法はないと勇んではみたものの、言葉を介さないと、相当な時間を要し、私自身の非力も加わり、不十分に終わりました。
伝える私は、先人から習った完成された居合の言葉を用いており、それを他言語で説明しようとするのですから無理もありません。
その技は師匠の言葉の裏づけ(言霊)で出来上がっているのですから、伝えるときには習った言葉をそのまま用いざるを得ません。無暗に自分の言葉に変換することは技自体も自分流に変換することと等しく、決してやってはいけないことです。
しかしながら、これらのことは用いる言語に限ったことではありません。日本人同士でも伝わる人とそうでない人がいます。別の環境で長年過ごすと通じなくなってしまうこともある。
なぜなら、流行りのリモート会議では、辞書的な意味は通じても、同じ物理的空間を共有していないと伝わらない言葉があるからです。稽古で言えば、同じ床を踏むということです。
その空間に居れば無言でも通じるものがあります。しかし、無言といっても、その基底には共通の概念、即ち言葉が存在しております。
全ての技は言葉によって形成されていますので、先人から教わってきた居合道の動作にまつわる言葉を日々意識的に用いることが大切となります(例え口には出さずとも)。言葉の喪失は、技を失うことにつながります。2022.2.3会水
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