形(型)の性質について
歴史の過程で、各流派が技の本質を集約し体系化したものが形(型)である。 古来、真剣を用いて相対で剣技を試すことは、生死を賭すことになるため、通常は一人で鍛錬していたと言われる。木刀で対戦する場合も事情は大きくは変わらないであろう。...
関係性は重要でない
身体を効率的に運用するためには、その時の諸条件との関係性ではなく、目的が大切である。 技前においては、敵を制すること(具体的には先手をとっての斬突)が目的であり、その時の各自の身体的条件(年齢・体力・体調等)や環境が関係性に当たる。...
一本の技
鯉口を切るところから納刀を終えるまでの一本の技を、始めから終わりまでを通して稽古することが原則である。 「抜き付け」「打ち下ろし」「血振り」「納刀」等々を取り出して稽古することは、技を習得する上で大いな助けとなる。 だからと言って、技は一本一本独立し完結しているので、それら...
仲間ということ
仲間という言葉は、武道ては、チームというよりは収まりがよい。 それは、何かを共有していることでもない。グループというようなものでもない。必ずしも目的を一にしているとは限らないが、何かが一緒にありそうなもの。 例えば稽古の場において、同じ間とか間合いの中に居るということは、同...
行連れ、四方切り(刀法)の左足
行連れも四方切りも右足に続く左足は進行方向に真っすぐ半歩出します。 そのとき、左足を右側に寄せれば、右敵との間合いが近くなり、左側に外せば、左敵との間合いが近くなります。 左右の敵との間合いを等しくするために、左足は進行方向から外さないように真っすぐ前に踏み出すことが必要で...
颪、岩波の踵(きびす)
いずれの技も、跳ね上げた後、正面に向き変える時は、踵(かかと)で回ります。 つま先で回ると、概ね一足長、右側にずれて、打ち下ろしの物打ちが、倒れた敵の胴腹ヲ越えて首の辺りになってしまいます。 また、岩波で突く構えに入る時も踵(かかと)で回ります。...
技の持つ振動数
技にも振動数があり、振動数の違いが技に現れます。 物も人も止まることなく常に振動しているからこそ、目に見えるのであって、振動していないものはこの世に存在出来ません、 そして、達人の技は、われわれよりも振動数が多く、かつ高速であると推測出来ます。...
正対について
居合の姿勢には、正対と半身とがありますが、無双直伝英信流では、正対が大本となります。 半身は正対から変わったものなので、半身の姿勢から技がはじまることはありません。おへそが敵に向かっている正対から全ての技が起こります。 横一文字に切りつけるためには、正対であることが必要で、...
スランプ
居合は瞬間の技ですから、以前の自分と今の自分とを比較しなければ、スランプを感じることは出来ません。 居合で、同じ技を再現することはできないので、以前の技をもう一度やろうとすると現実とのギャップが生じるわけです。 今に身体を置いて、以前と同じ技をやろうとするから調子が狂ってし...
正流の継承、それが喫緊の課題です
正流を是非とも残したいのですが、技の本質を組織化することは、到底できるものではないので、道場内で粛々とやるほかありません。 将来、メンバーが増えることは望みつつも、大衆化して中味を薄めてはしまっては、元も子もなく、居合には伝統的な口伝といわれるような稽古が適していると思うか...