伝統
我が修塾を始めた目的は「わが国の歴史と伝統を尊重し、正正と技を修練し、正しく次代につなげる」というものでした。 そのためには、少数精鋭も悪くはないということを常々発言してまいりました。 伝統を保持するためには、裾野を広くすることが必要だと、よくいわれますが、裾野が広まっても...
姿・形・動作をなぞる
奥深くに潜んでいるかのような技の本質は案外、表面にも姿・形・動作として現れているものです。 姿・形・動作をなぞることで、技の本質を窺い知ることが出来そうですから、やってみる価値はあります。 また、技の本質を見ることは、表出した本質を見ることであると思っております。...
後足について
二歩幅が体勢の基礎となりますが、さらに、正対でも半身でも、後足の膝は屈せずに十分に伸ばし、大腿部と共に締めることが大切です。 膝が弛むと体勢不十分となり、物打ちが弱くなります。 その際、正対のときの踵(かかと)は、床から2~3寸程離し、半身のときは踵(かかと)は床から離しま...
緩急
一本調子な技にならないように動作には、メリハリをつけることが大切です。 そのためには、複数の動作を一度にまとめないで、一節毎に区切りをつけて行います。技と技のつなぎは滑らかにしつつ、動作を引き締めるということです。 そうしていると、自ずと気が発して、動作に緩急がもたらされま...
血ぶりについて
昨日の稽古時に、石村さんから河野百錬先生の血ぶりについての下記見解が紹介されました。 「実戦の経験上血は刀に殆んど附着せぬものなり。されど形として養心残心に重きを置きて、かく仕組みしもの也」。河野百錬 血ぶりの動作で本当に血を振るい落とせるのか、血ぶり後に直ぐに納刀出来るも...
稽古の仕方
他のスポーツの経験者が、居合の稽古をするときには、その経験を身心ともに一旦リセットします。 その経験は身体的能力としてはプラスに働く面はありますが、その経験の上に乗せるのではなく、ゼロの状態から始めた方がスムーズです。 稽古は、とにかく、流派の掟に従順になり、まず、手順と形...
再開2回目の稽古に臨んで
他人のことが上手く見えることはよくあることです。 上手なのは確かなのですが、自分の方が低下したため、相対的に上手く見せられる場合もあります。 そこには、誰の指摘も受けないうちに、以前出来ていたことが気づかぬ間に徐々に劣化していたり、当時獲得した概念の本来の意義にズレが生じて...
精密に武技を学ぶ
身体能力の高さや強靭な体は有利ですが、それは武道の本質とは分けて考えた方がよさそうです。 例えば現代の柔道の体重別制度は、体力で区分した面もあるように思えますが、古来の組打ちや柔術は体格の違いはあまり意識されていなかったと聞いております。...
静と動
「動静合一」などとも言われ、居合では、段位が上がるほどに認識しておきたいことの一つです。 動の前には静があり、静と動は交互に繰り返されますが、それらが合一するところにまで至りたいものです。 まずは、心身を落ち着かせて、「静」を正します。...
道場(修塾)について
修塾は、正統の技を修める場の中に、イメージした(している)ことを試す実験室という一面がある。 稽古がうまくいけば、実験成功ともいえるし、イメージ通りでなければ、新しい発見というおまけが付く。 たた、場当たり的にルーティーンをこなすだけでは、何も変化はおこらない。...