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刀の長さ

  • 山崎修明
  • 2017年3月19日
  • 読了時間: 1分

昨日、少し長めの刀で稽古した。普段用いているものを修理に出したためだ。

刀の長さは、身の丈に合ったものがよいと言われ、使い始めたものが、やがて自分の基準となる。そして、それより長くても短くても不都合を感じるようになるのが普通だ。

私も固定観念に従えば、きっと使いにくく感じたかも知れない。でも、いざ稽古を始めるとそのことは忘れていて長さなど全く気にならなかった。先入観がすっかり消えて勝手に身体が動いていた。思い込み、こだわり等の自意識を解放されれば、刀も心身も自由になり、あらゆる可能性が広がりそうだ。会水

 
 
 

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