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稽古時の心持ちについて

  • 山崎修明
  • 2018年2月1日
  • 読了時間: 1分

稽古のもともとは「古(いにしえ)を考えること」というの意味ではありますが、過去に身を置くことではなく、技は今のこの瞬間に在るものです。また、追体験するということともは少々異なります。

先師の技や他人の技を第三者が、体験することは出来ないからです。

自分の技でさえ再体験は不可能なのですから、それは当然のことです。

時として、上手く出来た時の自分の技をもう一度と再現したいと思っても、終わったことですから無理です。

そのような態度や過去の観念で抜刀する、実態のない架空の技となり、罠に嵌ることになります。失敗したことも含めて何事もその場限りのことなのです。

これまで、私は先師の技を手本にし、僅かでも近づきたいとの思いで、その教えを手掛かりに稽古して参りましたが、いまだに稽古の本質が見出せませんが、その場の心持ちと態度によって、稽古の質と臨場感が決まります。

そして、常に「誰が刀を抜き差ししているのか」と自問することが、心の持ち方の一助になると思います。伝承された、正しい形、掟に則ることは勿論ですが。会水

 
 
 

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