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本来、何を伝えるべきなのか?

その答えは流派の原型だと思います。

今、辺りを見渡すと、同じ流派名ながら、どう見ても似ても似つかない技がなんと多いことか。それは、分派云々の次元以前のもので、見るに忍びないものがあります。

何故そうなってしまうのか。それは、伝承されてきた元々の技(形)を伝えるのではなく、その技の解釈のみを教えることに終始したため、本質であるべき原型が欠落してしまったからだと思います。本来、伝承すべき元々の技(形)を指導せず、技の解釈だけを教えてきた付けが、今日のような根のない技が増えてしまった原因です。そして、その解釈のみが独り歩きするとやがて原型を留めぬ形が出現してしまうのは無理からぬことです。

百歩譲って、その解釈が先師から受け継いだ、一貫したものであるならば、優秀な剣士が遡り、元々の技に行き着く可能性はゼロでないかも知れませんが、解釈はあくまでも解釈です。まして、そこに技量に応じた私見が加味されて行くと無残なことになってしまいます。

正統20代宗家 河野百錬先生の残された宗家訓の「先師の残された形に些かの私見を加えることなく」という如く、流派の原型である元々の技を稽古し、先師が残してくれた正流の根を少しずつでも育む努力が、わずかばかりの伝承につながると思っております。会水

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