少数精鋭とは
- 山崎修明
- 2019年6月24日
- 読了時間: 2分
「すぐれた者を少数そろえる」ことを少数精鋭だと思っておりましたが、少数ゆえに皆が精鋭になる」という意味もあるそうで、居合には後者が合いそうです。
確かに、居合道では集団な大きいと、精鋭が現れにくいような気もします。それは多人数への指導では内容が一律になるということよりも、むしろ、当初の目的意識が希薄になることが大きいのではないでしょうか。
かつて、少数ゆえの利を生かせる規模とはどれくらいのものなのか、組織論の研究者に尋ねると、員数的には、数十名が第一段階で、それ以降は規模の拡大によって良くも悪くも組織が変質して行くとのことでした。そこで企業経営の場合は、分社化等の策がとられるそうです。
しかし、企業の利潤追求とは違い、居合道は伝統の継承という目的がありますので、規模のみでは考えられないところに難しさがあります。
少数精鋭を保つためには、一定の規模に達したら、分化することで、停滞をとめることが出来そうです。とある思想家が「思想は組織化できない」と言い、大集団を解体したということがありました。残念ながら、信念を持てば持つほど、昨今の居合道界にも当てはまることだと思います。
そして、居合道における連盟組織は、少数精鋭の団体が、いくつも集まって出来上がるのが理想ではないでしょうか。その際、連盟が所属団体を統一するのではなく、居合道文化の啓蒙、発展のシンボルとしての存在であってはどうかと思うのですが、理想論過ぎるでしょうか。皆様のお考えは如何でしょうか。
そうだとしても、どこで、どの様に段位を認定すれば、納得いくものになるかという問題が、最後に残ります。会水
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