技の言葉化について
- 山崎修明
- 2019年10月13日
- 読了時間: 2分
私は長い間、明確な言葉による指導を受けてまいりました。
その言葉の中身は漠然としたものではなく、一センチメートル、あるいはもっと厳密な寸法や角度等が示されたものでした。それが、今の自分の糧となっております。
やはり曖昧でなんとなくの言葉では、場当たり的で後に何も残らず、受け手の解釈に委ねることにもなってしまいます。後々に伝えるという観点からすれば、言葉の明確さが大切です。
そして、伝達の際の最大のポイントは、その言葉が、受け手に通じるかどうかということです。シンプルで明確な言葉にはインパクトがあり確かに伝わるものです。意志のある言葉には継続性があり、伝統につながり、言霊が宿ると言われますので、あまり言い換えずに、出来るだけ元々の言葉を用いるべきでしょう。
また、言葉の意味を共有するとは、伝えたいことの意図や本質が通じるということであり、語学的に理解できたというのではなく、「真に分かった」ということだと思います。
参考までに、私がいうところの言葉には、下記のような単語とフレーズがあります。
単語は、「序破急」「二歩幅」「目付」「間合い」「物打ち」「鞘離れ」等々。フレーズは、「大血ぶりの切っ先の位置は60センチ×30センチ」「横血は布を割くように真横に血ぶる」「打ち下ろした時の鍔は膝の線・拳は膝の高さ」「立技で追い込むときの足は半揃え」等々です。これらは先人の教えそのままです。まだまだ沢山あり、それらが道場の資産だと思っております。
それらの言葉を共有し定着するよう、道場内では口癖のように同じ言葉を多用しております。皆様も稽古時、指導時にはそれらの言葉をどんどん口に出していただきたいものです。
かつて指導を受けた道場が他道場と一線を画していたのは、技が言葉化され、金太郎飴の如く、それらが指導者間で共有されていたからだと思います。会水
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