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居合の本義
- 山崎修明
- 2020年1月6日
- 読了時間: 1分
居合は座位あるいは歩行時等における敵の不意打ちに応じ、瞬時の技を以って敵を制する武術である。ゆえに技を芸術的観点から見ると、居合発祥の原点から離れてしまう感じがする。
また、居合の技は敵との関係性から出るものであるから、修練の主眼を先ずは攻防の効課効率に置きたい。
さもないと、武術であるものが、芸術に転化され、術理を失う恐れさえある。
そして、これまで日記欄に記してきた自己探求その他諸々の精神性や時間軸に関するものは、自ずと彼我(敵と我)の関係性に通じる事柄でもある。
「抜かずして勝つ」などとも言われるように、無暗に攻撃を仕掛けないことも、また居合の原点である。攻撃というより襲撃に応じると言った方が居合らしい。
そのように考えると、目標が具体的で明瞭となり修練もし易くなる。会水
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