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形(型)の性質について

歴史の過程で、各流派が技の本質を集約し体系化したものが形(型)である。

古来、真剣を用いて相対で剣技を試すことは、生死を賭すことになるため、通常は一人で鍛錬していたと言われる。木刀で対戦する場合も事情は大きくは変わらないであろう。

もし、居合道で、防具を用いて技を試したとしたら、斬(切)るというより、打つ技にならざるを得ず、伝承されてきた見事な技が崩れて、本質を失ってしまうことは明らかである。

また、勝負を競うことを一義とすることは、必然的に体力や運動能力に頼りがちになる可能性がある。

生まれ持った人間の身体特性の延長によっては、武技は成り立たず、人間の体全体を武技化しない限り、武技ではなく、人間技になってしまう。

居合では、試合というものがないので、個人の恣意や個性が入りにくく、技が崩れにくい。

その一方で、技に私感を加えたり、伝承された技を改変してしまうことは、技が崩れる云々以前の別次元の由々しき問題を生ぜしめる。

いずれにせよ、伝承という意識を欠いた武道は、その語義からも稽古とは言い難く、練習と言うほうが相応しい。

現在の勝敗偏重の潮流から、先ずは、形(型)から指導するくらいに意識を転換しなければ、ますます伝統武道の本質から離れてしまうことは必然である。会水

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