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修業の目的


かつて入門当初の段位審査で「居合道修業の目的は」との設問があり、「定められた武技を通して身体と精神を練磨することを目的とする云々」と一見高尚ぶった回答をし、なんとか合格点をいただいた。

 

爾来、このことについては何も考えずにやってきたので、今となってはこそばゆくて同じ問には答えられそうもない。

 

私は入門当時からおおむね半世紀となるから、今日を現代と表現てもよいのではないかと思う。

 

個人的に、当時と現代とでは技前の解釈も技量も大きく変わっていると感じるのは、入門したキッカケが、とある先師の技前を初めて拝見し「すごい」「かっこいい」との思いによるものであり、今もその心境が一片も変わらずその時のままであるため、当時の映像と現代とのコントラストがハッキリしているからだと思う。

 

今となっては、高尚な理念もどこ吹く風、修業の目的はと問われれば、憧れの先師の技前に近づくことが、目的であり、その抜群の技の一挙手一等足を追い真似ることが目的である。目的が目的化したと言った感じである。

 

もしやこれでは、技を指導する立場には値せず、本来の武道修業の本筋から逸れているのかも知れないが、今更軌道修正することは難しい。2024.4.3会水

 

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