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居合技における実力

古武道には多種の流派があるが、源流を忠実に守ろうとするもの、そこから逸脱するものまで多様である。


小生は前者に共感する。その謙虚で真摯な姿に魅了され、かくありたいと思う次第である。


それが、古武道に入門し修練する本義であるし、それなくして一体どこへ向かうというのだろうか。


武道の世界には分派という歴史があるが、昔日のそれは恣意的なものではなく、先人が工夫研鑽した暁に到達し実戦に照らしてのことであろうから、実戦を知らない現代における恣意的なものとは次元を異にすると思われる。いずれにせよ、実戦とは何かも知らない我々としては、遺された形を通して先人へ思いを馳せるのが精いっぱいである。


標題のテーマに戻れば、現代において実戦は極めて稀ではあるが、やはりその原点を探れば、実力とは勝つための業ではないだろうか。実力とは、練度に置き換えることも出来る。


恣意的に多様化した形を源流に戻すことは、もはや不可能であろうから、百歩譲って形の違いは度外視し、技前の精度、技量そのもの優劣しか実力を測るすべはない。


そして、技量の精度、優劣は、自ずと形の精度に負うところ大であり、それに異論を挟むことは難しいと思う。2023.8.1会水

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