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武技としての本質を求めて

敵を倒すために生じた元来の武術は、心を養い、体を鍛錬する道として武道に昇華され現代に至りました。


しかしながら、心を養うことについては、昔日から無心になることが武術の先人達から語り継がれ、心は滅すべきで、心を養うとはそれに反すると思う訳です。


体の鍛錬は目的でなく、武術の修練の結果成るもので、武術の向上のためになされるものと個人的には考えてきました。


また、先師の残された形を些かも改変することなく正しく伝承することを主眼として居合を稽古している者ですが、敵を倒す術を忘れてしまっては本末転倒で、伝承されてきた正統正流の技を無暗に改変せず真摯に向き合えば、そこには実戦の剣理が備わっているものと考えております。


敵を倒すという本来の目的から離れれば、折角の誇りある技が形骸化し、単なる形の舞になってしまうことを憂いております。


敢えて例えれば、個性気迫をもって、鯉口から放たれた切っ先を寄り道させず、最短距離で敵の首に運ぶ動作が、自ずと実戦においてはなされるはずです。2022.3.6会水

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