top of page
検索

武技としての本質を求めて

  • 執筆者の写真: shujuku
    shujuku
  • 2022年3月6日
  • 読了時間: 1分

敵を倒すために生じた元来の武術は、心を養い、体を鍛錬する道として武道に昇華され現代に至りました。


しかしながら、心を養うことについては、昔日から無心になることが武術の先人達から語り継がれ、心は滅すべきで、心を養うとはそれに反すると思う訳です。


体の鍛錬は目的でなく、武術の修練の結果成るもので、武術の向上のためになされるものと個人的には考えてきました。


また、先師の残された形を些かも改変することなく正しく伝承することを主眼として居合を稽古している者ですが、敵を倒す術を忘れてしまっては本末転倒で、伝承されてきた正統正流の技を無暗に改変せず真摯に向き合えば、そこには実戦の剣理が備わっているものと考えております。


敵を倒すという本来の目的から離れれば、折角の誇りある技が形骸化し、単なる形の舞になってしまうことを憂いております。


敢えて例えれば、個性気迫をもって、鯉口から放たれた切っ先を寄り道させず、最短距離で敵の首に運ぶ動作が、自ずと実戦においてはなされるはずです。2022.3.6会水

 
 
 

最新記事

すべて表示
何を指導するべきか

私は自分の信ずる正統正流の技前を継承するための指導をしている。   自分が習い、憧れの師の技前に違わぬよう、それが忠実に伝わるよう自分なりに努めているつもりである。   ~の様に、~のような感じで、と言う観念的なことや、何かに例えてイメージ化するような説明は出来る限りしない...

 
 
 
無念無想ということ

この概念も「序破急や間合い」と同じく、深堀されているところを見聞した覚えがない。   「無念無双」は昔日から耳慣れた言葉であり、武術家等が修行を通して追い求めてきた、深奥な境地でると認識してきたし、いまもそう思っている。  ...

 
 
 
正しく継承するための伝え方

一、先ずは外形から入るべきである    体ならしや刀になじませるために素振りや足さばきから教える向きもあるようだが、何も分からない初心者にそれをすれば自分勝手なやり方になってしまいむしろ後々の弊害となる。初っ端から悪癖をつけさせるようなものである。  ...

 
 
 

Comments


特集
後でもう一度お試しください
記事が公開されると、ここに表示されます。
最新のお知らせ
Archive
Search By Tags
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page