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無双直伝英信流歎異録(たんにろく)

福井虎雄先生からは、勇往邁進の気概を持って技を行えと指導を受けましたが、正にご自身も躍動感あふれる技を体現されておられました。


道場の稽古でも手順をなぞるにとどまらず気勢気迫が第一であると皆で申し合わせております。


河野百錬先生著の無双直伝英信流歎異録は、吉澤氏より拝借し、道場内で内容を共有しております。改めて拝読し、20代河野宗家から21代福井宗家に英信流が正しく継承されていることを知り、当流の業前に益々の誇りも感じます。


さらに、河野宗家が歎異録を著されるに当たっては、先代先々代の宗家の指導を仰いでいることが自序に記されており、当流の伝統性に意を強くした次第です。


以下歎異録の一節(全17節)を原文のまま謹んで引用させていただきます。


『八、生気に無い居合の事』

古い同志の中に「気の抜けた物足らぬ居合だ」と教えられ乍らも、自己満足によるものか「居合は業に丸味が無ければ真の居合では無い」などと、初心者に教えるものがあると聞くが、かかる言は初心者を迷わす最も危険な言い方である。

居合に限らずいかなる業もその極致はすべてすべて丸味がなければならぬ事は勿論だが、居合の成り立ちが敵に対する刀法である限り、敵の心魂に貫通する(その業に触るるすべての者に)無限の迫力のある事が、第一条件で、しかも其の業に丸味があり、侵すべからざる気の位ひを備えた生き活きと躍動するもので無ければ真の居合とは申しがたい。

 見る人をして「気のヌケタ居合」と感じさせる様な居合は、元来平素修錬の乏しい人の居合にしばしば見受けられる処で、初心の間は角張った堅いゴツゴツした居合が幾千万と錬磨の功を積んで後、所謂る丸味を会得する事が道である。初心から丸味などの言に迷はされて日々の修練を怠るものは、所詮は終生気の抜けた居合に終はらねばならぬ。

 道に志すものの深く心すべき大切な心構えである。


以上、歎異録を拝読して。2023.2.7会水

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