技前における基本の重要性
基本とは初心から熟達に至るまで、外してはならない流派における掟であります。 つまりそれは初心における基礎固めのための初歩的な事柄ではなく、むしろ終生目指すべき真髄であるわけです。 宗家訓にある「居合を学ばんとするものは、技の末を追わずその根源を糺せ」とあるが、その根源に当た...
気剣体の一致
居合においては、技の流れを止めないことが大切です。 静止しているように見える場面でも、体は内面において躍動していなければ死に体となります。陸上短距離走のスタート時の心境でしょうか。 即ち、私感ながら、動の中に静あり、静の中に動ありということでしょうか。...
「理会(形)」と「気迫」の両輪
対敵技である居合においては、流派の掟に基づいて伝承されてきた正しい「理会(形)」と、そこに「気拍」が伴なうことが求められます。 理会を伴わない気負いに任せた粗暴なものは、むしろ気迫とは相反しますし、理会を欠いた気勢だけのものでもいけません。...
稽古との向き合い方
いつも同じ動作の繰り返しで、十年一日のように感じられるとしたら、言葉は悪いが、いい加減にやっているからである。 前回と今回の動作の違いがわかるかどうかが、上達するか否かを分ける。 技を自分のものにするためには、動作を繰り返すごとに、何か新しいことをしなければならない。202...
技の密度を高める
稽古の時に、細部にこだわることは、単に技を細かく分解することとは違います。 それは、反対に多くの技術(情報)を一つに集めるということです。情報量が多ければ、一本の技の密度は高まります。スカスカな技は波の立たない穏やか水面のように起伏がありません。起伏と言っても、技のメリハリ...
居合技における実力
古武道には多種の流派があるが、源流を忠実に守ろうとするもの、そこから逸脱するものまで多様である。 小生は前者に共感する。その謙虚で真摯な姿に魅了され、かくありたいと思う次第である。 それが、古武道に入門し修練する本義であるし、それなくして一体どこへ向かうというのだろうか。...
立合い(截ち相)の意識で臨む
居合は芸能ではなく、敵と截ち合うためのものであり、第三者に見せるためのものではありません。 したがって、第三者の評価を得るための態度で臨んではいけません。 その際、敵を制する勇往邁進の気概を持たねばなりませんが、それは披露するためのものではなく、あくまで敵に対するためです。...
稽古が始まる時
入門当時は、技を習い覚えことから始めなければなりません。それは未経験から一歩を歩み始めることで、しばらくは新たなものを積み上げて行く感覚であり、思えばそこには未だ工夫と言う意識はなかったように思います。 いつの日か向上という意識が芽生えますが、まだまだ稽古の緒に就くのは先の...
伝統の継承、伝承に関する私感
「伝統を守る」ためには、新しいことにチャレンジし現代にマッチした改革や、時には破壊することも必要云々ということを耳にすることがあります。 しかしながら、居合道に入門した当時から、伝統を守るためには、古来伝承の技を決して改変してはならないと言われて育ってきました。...
稽古(外形と実質)
外形と実質は表裏一体であり、外形は実質の現われであるとも言える。 先ずは、流派の掟としての外形を整えてから、その中身である実質を高めていくのが稽古の手順であり、その逆に理がないことは分かると思う。 外形という器が無ければ、その中身を満たしていくこは出来ないからである。稽古に...