居合言語のすすめ
私が長年、居合道にいそしんできた中で、その言語が通じる稽古に出会うことは稀でした。が、幸いにも、先日、それが通じる稽古に出会えました。そして、そこの皆様は技前の理念を共有し意思疎通がなされているようにお見受けしました。指導者されていた方々の力量の賜物でしょうが、偶々居合わせた私にさえ、言語が聞き取れたほどでした。本当に久しぶりのよい体験ができました。
そして、技前の伝承という言葉さえ死後になりつつある今日、先日拝見した稽古に一筋の光を見で、まだまだこれからだと励まされましたのと同時に。伝承の鍵は、居合言語にあるという思いも新たにしました。
翻って、現代は先人が用いた言葉を、分かりやすく現代風に言い換えるという風潮がありますが、それで、その場を凌いでも、大局的には大きな誤りだと思います。
また、昨今、普及させるためには、現代に合わせて変遷するのは自然な流れで、皆に馴染んでもらうことが、結果的に伝統を守ることにつながる云々ということを耳にしますが、果たしてそうでしょうか。そのような傾向は、私には本質の変更にか思えず、もはや魅力を感ぜられません。幸いにも本物に接することが出来てきた者としての性でしょうか。
居合道で言えば、先人が残してくれた、一語一語は努力研鑽の結果生み出された貴重な遺産ですから、安易に言葉の表現や言い回しを変えることは先人への礼を失することになりはしないか。私なりに自戒を込めてそのことについて日々留意しております。
普段の稽古時から、教える方も教わる側も、先人の思いを大切にし、そこから軸足を外すことなく、真摯な稽古をしなければ、先人に合わせる顔がないのではないかと個人的には考えております。
そのためになすべきは、一語一語を慎重に扱い、普段から、居合言語を正しく用い、その単語、フレーズを絶やさぬようにするため、稽古場では、教える側も習う側も兎に角、遠慮なく、ためらわず、勇気をもって、声に出して、伝え残された居合言語をたくさん使うべきだと思います。それが伝承につながる近道であり必須なことではないでしょうか。
私は修業過程でいただいた、沢山の居合言語を糧にして、今後とも、精進したいと思っております。会水