昇段について
- 山崎修明
- 2019年3月19日
- 読了時間: 1分
いつも審査会が近づくと居合道の段位について思うことがあります。
取得した段位が自分の実力であるという考え方もありますが、私は修業の目安としての器を得るとういことが昇段の意義ではないかと思っておりま。
例えば、ヤドカリは窮屈になったら新しい貝へ移り住むようです。多少ゆとりがあるものを選ぶのでしょうが、あまり大き過ぎる貝に入ることはなさそうです。
段位が上がれば器が大きくなりますから、思う存分に伸び伸びできるようにはなりますが、やはり段々にというのが自然のような気がします。
段位が上がり器が大きくなったとき、その器を満たそうとして、今までの技への継ぎ足しや、手直しをしても、それほど大きくはなれません。せっかく新たな貝に移ったのですから、この際、以前の技をぶち壊して、心機一転、初心に帰って新たな稽古に臨んでは如何でしょうか。
また、始めて受審する方は、器の大小などは分からないでしょうから、指導者が適切に判断してあげることが必要です。初段は、将来の骨格となる大切な一歩になる段位ですから、本人のためにも十分に時間をかけて慎重に判断してあげることが大切です。会水
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