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居合の個性

  • 山崎修明
  • 2019年11月13日
  • 読了時間: 1分

同じ技を目指しても、生まれつき人の目鼻立ちが違うように、元々の違いが技の上に表れることが、居合における個性です。

同じ人が、同じ指導をしても受け手の技が異なってしまうのは、個性云々以前に、指導不備による規格外れか、悪癖ではないかと思います。

たとえ同じ源から出た技であっても、結果的に違ってしまうのは、はじめに個性を考えない指導では、技が定着しにくいからかも知れません。皮肉にも個性を考える場合の順番があべこべということになります。

実のところ個性は居合以前に人それぞれに備わっているものが技の上に表れたものと思われます。

もし、指導してきた人々毎に技が異なっているようなことがあったならば、それを安易に個性のせいだと決めつけず、指導について再考する必要があると思います。会水

 
 
 

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