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技の根源について

  • 山崎修明
  • 2020年2月17日
  • 読了時間: 1分

宗家訓に「技の末を追わず その根源を糺し」という一節が、この頃少し分かりかけてきました。 

元々の意味は、技には表裏があるから、末節にばかり気を取られず、その形の本質を捉えよとのお言葉だと推察しますが、さらに一歩踏み入ると、「その技はどこから出でるのか」ということも含まれているのでは、ということに思いが至ります。

今になっては、達人たちの「無念無想、無我」の境地は思いもよりませんが、それが技の追求に直接つながるものであることは想像出来ます。

しかしながら、これまで我々は、それらを漠然とイメージするだけで、やり過ごしてきましたが、やはり稽古している身としては常に探求すべきことに違いありません。

具体的なことをこの場で述べることは相応しくありませんので一例に留めます。

皆様も、きっと、技が自分の身体ではない、別の場所でなされているような気がしたことがあると思いますが、その場所がどこに在るのかを探すことが、一つの助けになりそうです。

無我の境地が自分の体内や心の中に在ろうはずがないことは周知の通りです。

技と同様にまずやってみないことには始まりませんので、先ずは、身体と心に縛られ、頼り切ってきた習性から、抜け出すことから始めてみてはいかがでしょうか。会水

 
 
 

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