正坐一本目「前」
昨日は、基本的なことが多く含まれる「前」を取り上げて稽古しました。 正座の姿勢、両手の位置、手のかけ方、抜き出す方向とタイミング、切りつけた時の切っ先や拳の位置、打ち下ろした時の切っ先や拳の位置、血ぶりの仕方、納刀の仕方等々について皆でおさらいしました。...
正伝について今思うこと
諸説ありますが、自己解釈では、正統とは系統の正しい継承を指し、流派の掟に則った技量を受け継いだものが正流だと思う。私は正流と同じイメージで正伝という言葉を用いています。 これまで正伝を継承されてきた全ての先師に敬意を払うのは当然のことですが、目標を明確にし、より的を絞りやす...
奉祝「令和元年五月一日」
奉祝「令和元年五月一日」 新しき御代を迎え、謹んでお慶び申し上げます。 この連綿たる歴史を拝し、恐れながらこれに肖り、我々も先師から受け継いだ正伝の技を次代に正しく伝える努力をして参りたいと存じます。 そのためには、気持ち新たに、原点を思い、初心を忘れず、丁寧に学び直すこと...
本来、何を伝えるべきなのか?
その答えは流派の原型だと思います。 今、辺りを見渡すと、同じ流派名ながら、どう見ても似ても似つかない技がなんと多いことか。それは、分派云々の次元以前のもので、見るに忍びないものがあります。 何故そうなってしまうのか。それは、伝承されてきた元々の技(形)を伝えるのではなく、そ...
リアルな技
居合は敵との攻防の術ですから、仮想敵が見える技とか、リアリティーのある演武などの言い方は本来的ではないと思います。実戦では、目前にいる敵を先に切らねば我が切られるわけですから、正にリアルです。常に実戦として臨みたいものです。会水
昇段について
いつも審査会が近づくと居合道の段位について思うことがあります。 取得した段位が自分の実力であるという考え方もありますが、私は修業の目安としての器を得るとういことが昇段の意義ではないかと思っておりま。 例えば、ヤドカリは窮屈になったら新しい貝へ移り住むようです。多少ゆとりがあ...
私が願うこと
私たちの流派は、幸いにも、古来から現代まで正統宗家によってつながれてきましたので、伝えられて来たその技に私見を加えずに稽古すること、そして、和の心や礼儀正しさ等の日本人の特徴的な精神性を大切することを心掛けております。 居合道は元々、敵の不意の襲撃に対応する必要から創案され...
地味な技
日本刀「正宗」の特徴は、「姿は尋常ですが、光を当てて見ると、地肌に銀粉をまいたようなきらめきが見られる」という記事を読み、長年師事した居合の師によくたしなめられた「奇をてらうな」という言葉を思い起こしました。 本物の技は「正宗」のように目を凝らさないと細部は見えてきません。...
居合言語のすすめ
私が長年、居合道にいそしんできた中で、その言語が通じる稽古に出会うことは稀でした。が、幸いにも、先日、それが通じる稽古に出会えました。そして、そこの皆様は技前の理念を共有し意思疎通がなされているようにお見受けしました。指導者されていた方々の力量の賜物でしょうが、偶々居合わせ...
技の研究について
技の研究について 弊道場は、古来伝承されてきた無双直伝英信流の正統正流の技を標榜し、その細部まで追求することに特化しております。 標題の技を研究について、一人で追える範囲には限りがあるので、研究対象を絞ることで深堀することが可能になりますから、一所懸命(一生懸命では意味が通...