礼式について
先週はスペースの関係から、礼式のみを稽古をし、改めてその奥深さを感じました。 居合道は礼に始まり、礼に終わると言われる、礼を最も重んじる武道です。 それ故に礼式における諸動作は、神殿・対人・刀礼ともに敬意をもってなし、礼儀に適ったものでなければなりません。そして、礼式は清明...
祝・ご昇段
昨日(5月3日)小平市総合体育館において、春季恒例の神州居合道連盟第14回段位審査会が実施されました。 当道場からは、4名が受審され、それぞれが三段位、四段位、五段位、教士に合格されました。誠におめでとうございました。 私が若いころ昇段した際、師匠から「新たに大きな器を得た...
技の伝達について思うこと
昔の剣士は口伝を頼りに学び、その言葉が解る者のみに技が伝承されたのだと聞かされてきた。稽古においては技前についての解説もあまりなく、師匠の形を見るだけの文字通り、稽古(いにしえを考える)を実践するのみであり、実のところ師匠の技を受け継げるのは、極一握りであったそうだ。...
稽古について思うこと
習字でお手本をなぞりますが、 居合に限らず、 努力ではなく、何かをとことん真似していると、新しい発見が生まれます。 普通、目標とする対象を真似るわけですが、その際、目標と自分との間の差異を埋めようとして、色々と比較検討したくなる気持ちも分からなくはないですが、芸術ではない居...
再び姿勢について
フィギュアスケート羽生選手の体軸云々についてのTV報道を耳にしましたが、しっかりとした彼の体軸が、隅々まで行き渡ったスムーズな演技のもとになっているように思えます。 居合では姿勢がとても大切で、姿勢がよくないと、本来持っている力が発揮できずに、もったいないことになってしまい...
稽古時の心持ちについて
稽古のもともとは「古(いにしえ)を考えること」というの意味ではありますが、過去に身を置くことではなく、技は今のこの瞬間に在るものです。また、追体験するということともは少々異なります。 先師の技や他人の技を第三者が、体験することは出来ないからです。...
新年に当たって
言葉はどこまでも空虚なものではありますが、今年も時々日記に投稿したいと思います。 以前の所属道場では、元日の朝に初稽古があり、初めの一本目を真剣勝負のつもりで抜きましたが、それが稽古の本質かも知れません。 時には、稽古で調子が思わしくないと感じるかも知れませんが、それは、技...
品格ということ
「品格」という言葉は居合道でもよく言われますが、その定義は一言では説明しにくいものです。 まず、「品(ひん)」という言葉は、「恩(おん)」や「分(ぶん)」とともに、日本語特有の思想であり、その根源は日本の皇室の品位、品格にあります。...
神州居合道連盟大会にて演武して
この度の演武参加者は各々、感じるところがあったかも知れませんが、私の感想はを以下のとおりです。 居合は彼我の関係性における間と間合いが最も大切であるが、万物と一体となれれば、自他(彼我)の区別さえ無に帰すのではないか。 演武に当たっては、急ぎ慌てず、居つかず、一節一節をおろ...
演武会について
11月3日に神州居合道連盟演武大会、昇段審査会が行われる。 居合は自己研鑚の道であり、元々は見せるためのものではないが、演武会は、参加者が日頃の鍛練の成果を発揮する自己修練の場であるとともに披露する場でもある。また、他道場の技前に触れる機会であるから、お互いに大事にしたい。...