本来、何を伝えるべきなのか?
その答えは流派の原型だと思います。 今、辺りを見渡すと、同じ流派名ながら、どう見ても似ても似つかない技がなんと多いことか。それは、分派云々の次元以前のもので、見るに忍びないものがあります。 何故そうなってしまうのか。それは、伝承されてきた元々の技(形)を伝えるのではなく、そ...
リアルな技
居合は敵との攻防の術ですから、仮想敵が見える技とか、リアリティーのある演武などの言い方は本来的ではないと思います。実戦では、目前にいる敵を先に切らねば我が切られるわけですから、正にリアルです。常に実戦として臨みたいものです。会水
昇段について
いつも審査会が近づくと居合道の段位について思うことがあります。 取得した段位が自分の実力であるという考え方もありますが、私は修業の目安としての器を得るとういことが昇段の意義ではないかと思っておりま。 例えば、ヤドカリは窮屈になったら新しい貝へ移り住むようです。多少ゆとりがあ...
私が願うこと
私たちの流派は、幸いにも、古来から現代まで正統宗家によってつながれてきましたので、伝えられて来たその技に私見を加えずに稽古すること、そして、和の心や礼儀正しさ等の日本人の特徴的な精神性を大切することを心掛けております。 居合道は元々、敵の不意の襲撃に対応する必要から創案され...
地味な技
日本刀「正宗」の特徴は、「姿は尋常ですが、光を当てて見ると、地肌に銀粉をまいたようなきらめきが見られる」という記事を読み、長年師事した居合の師によくたしなめられた「奇をてらうな」という言葉を思い起こしました。 本物の技は「正宗」のように目を凝らさないと細部は見えてきません。...
居合言語のすすめ
私が長年、居合道にいそしんできた中で、その言語が通じる稽古に出会うことは稀でした。が、幸いにも、先日、それが通じる稽古に出会えました。そして、そこの皆様は技前の理念を共有し意思疎通がなされているようにお見受けしました。指導者されていた方々の力量の賜物でしょうが、偶々居合わせ...
技の研究について
技の研究について 弊道場は、古来伝承されてきた無双直伝英信流の正統正流の技を標榜し、その細部まで追求することに特化しております。 標題の技を研究について、一人で追える範囲には限りがあるので、研究対象を絞ることで深堀することが可能になりますから、一所懸命(一生懸命では意味が通...
技の本質を求めるということについて
居合道は、先師が実戦の中で模索し会得した技を流派の掟として伝書・口伝として残されたものである。それは、実戦に基づいたものであるが、そのまま適用するというより、本質的な剣理を体系的に指導理念としても残すため組まれ、実地時の応用に資するべきものと思う。...
合理的な技を目指して
居合道において「正・速・強・威」とは、修業の段階を表したものといわれますが。対敵の面から考えると、技の合理的な有効性を網羅しているように思います。 形式に固執し過ぎた技には、敵(仮想敵)が見えず、「速・強・威」が欠落しており誠に残念に思うことがあります。...
技を行うときに大切だと思うこと①
居合に限らず肩の力を抜くとよいと言われます。 身にも心にも力が入っていないほど自由になり良い結果が現れるからです。 では、居合ではどこで力を抜けばよいかというと、決まったところがあるわけではなく、それは常にということになります。...