本質への分岐点
誰でも、先師の技前のサマライズされたものを学んでいくものだが、そこを更に踏み込むと、それが溶けたかのように透明となり、深奥に隠されていた本質が現れてくるときがくる。 それは、広く全体を覆っていた何かが晴れるような感じで、広く全体に通じていた事柄から、個人的な領域に移ったとい...
個性と感性
同じ教えでも、伝わり方は千差万別です。 同じ言葉でも解釈は異なり、同じ文章でも、受け取るポイントが異なる場面を多く見てきました。 また、受け手の感受性が強いと、多角的な影響を受けやすく、集中を欠くようにも見え、逆に弱いと、打てど響かずになってしまい、痛しかゆしです。...
常に初心
初心に帰ることは進歩のために欠かせないことである。 それは何時も原点に戻ることの有用性として、古くから武術鍛錬のセオリーとされてきたことである。 では、何処に戻るのか、初心はどこに在るのかと言うことになる。 それは入門したいという思いを抱いた時なのか、始めて手ほどきを受けた...
「修塾」という名称
当道場名は、平成22年に創立時に、故武井氏と山崎で決めたものです。 その時分に抱いていた「我が国の歴史および居合道の伝統を尊重し、先人の教えを正しく伝承して行くという思いを胸に、正正と修練に努める」という創立趣旨に沿って「修塾」とした次第であり、個人の氏名に因んだものではあ...
古武道の稽古のために
「古(いにしえ)を稽(かんが)える」のが稽古の意ですから、現実を基準に考えても仕方ありません。古武道を現代の様式に置き換えることは出来ないからです。 あくまでも関心を昔(過去)に向けなければならないのはそのためです。 昔といっても、未熟な過去の自分ではなく、先人、先師に思い...
当道場の稽古もよう(2)
当道場では、正統第21代福井聖山宗家をお手本にしていることを度々明言してきました。 何処かで、同様の趣を持たれた道場はあるとは思いますが、福井宗家の技に徹底的に準拠した稽古をしている道場(或いは剣士)を現時点では知りません。...
眼付け(正座・前)
眼付け(正座・前) ・座した時の着眼は前方三米位とし、一定の箇所にこていするにあらず八方に心眼を注ぐ。 ・即ち遠山を望む心にて見ること。 ・動作中の着眼は仮想敵になす。 ・技によりて一定せざるも横一文字の抜き付けは座したる時の着眼の高さとし、最後に切り下したるは其の斬り下す...
応挙の写生
門外漢ながら、書道では臨書が重んじられ、絵画にはスケッチとか写生という技法があります。 居合は普通、大まかな手順とフォームから覚え始めますが、ある程度できた後は、それ以上深く立ち入らなくなってしまい、終生その域を出ない向きも多いようです。...
当道場の稽古もよう
当道場は、無双直伝英信流の居合道を学んでおります。 当流は、永禄年間(約480年前)に最上家の家臣・林崎甚助公によって起こされ、歴代宗家によって現代まで継承されております。 とりわけ、当道場は無双直伝英信流第21代正統宗家の技前をお手本としております。...
言葉の説明①
(彼我の距離) 間合いとは彼我の距離である。 居合における彼我とは、敵と我である。 敵との間合いを詰めなければ、物打ちは敵に届かない。 刀を振るってから、間合いを詰めても無意味であように、詰めるのが優先されるのは言うまでもない。...