スランプ
居合は瞬間の技ですから、以前の自分と今の自分とを比較しなければ、スランプを感じることは出来ません。 居合で、同じ技を再現することはできないので、以前の技をもう一度やろうとすると現実とのギャップが生じるわけです。 今に身体を置いて、以前と同じ技をやろうとするから調子が狂ってし...
正流の継承、それが喫緊の課題です
正流を是非とも残したいのですが、技の本質を組織化することは、到底できるものではないので、道場内で粛々とやるほかありません。 将来、メンバーが増えることは望みつつも、大衆化して中味を薄めてはしまっては、元も子もなく、居合には伝統的な口伝といわれるような稽古が適していると思うか...
立膝の座り方
直立した位置から、右足を一歩前へ出し、左足のつま先の位置に左膝を付けて座り、右足の土踏まずを左膝の線まで引くのが、福井聖山先生の座り方。 福井先生の右の脛は十二分に右に傾いているが、近頃は傾斜の角度が45度にさえ至っていない場合が多い。会水
初心の頃の間合い
初心者が習ったことを忠実にやろうとして、一つ一つかみしめるように抜いているのを拝見していると、懐かしさを覚えます。 しかし、居合に慣れ過ぎてしまうと、いつの間にか一節一節が疎かになり、はじめた頃の純粋さが失われてしまい、惰性で抜いているようになってしまうことは本当に残念なこ...
技の根源について
宗家訓に「技の末を追わず その根源を糺し」という一節が、この頃少し分かりかけてきました。 元々の意味は、技には表裏があるから、末節にばかり気を取られず、その形の本質を捉えよとのお言葉だと推察しますが、さらに一歩踏み入ると、「その技はどこから出でるのか」ということも含まれてい...